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2007年01月30日

ニノ@LA TIMES

LAタイムズのHPへいってニノの記事を読んできました。
いや~アメリカの新聞に取り上げられるなんてホント凄いな、ニノは。
以下私なりに(←ここ重要ね)訳してみました。
もう一度言うけど、あくまでも私なりってことで...なんとなく雰囲気だけでも伝わればいいかと思って。訳した部分を太字にしときました。

記事のはじめにはニノが硫黄島からの手紙で西郷を演じたことが書いてあって、西郷がどういう役だったかの説明が書かれている。
次に、二宮は(映画を見た)アメリカの観客にとっては無名の俳優だが、日本では大スター(mega-starだって!)だと書いてある。

そしてその次にはニノの簡単な経歴が書かれている。
現在23歳の彼は14歳の時から今のビジネスに携わっていて、映画・テレビドラマ・舞台もこなす。そして日本で最も有名な男性アイドルグループ嵐のメンバーで、歌やダンスもこなす。
それにとどまらずコマーシャルやラジオにも出演、人気の雑誌にも常に登場している。さらにはアニメ、鉄コン筋クリートで声優もこなしている。 
 だって。
記事の中にARASHIの字を見た時はなんか嬉しかった♪ 

そして次には硫黄島からの手紙の東京でのプレミアの時に(舞台でなのか裏でなのかはハッキリしないけど...)ニノが言った言葉が書かれている。
ニノ:『 有名になりたいというのとは別で、僕は常に何かを作りたいと思っていた(クリエイトしたかった) そしてその作る(創造する)喜びをみんなと分かち合いたいと思っている。』注)なんか日本語に訳すとよく意味がわからないような...でも訳すとだいたいこんなカンジなんだけどなぁ

初めての試写を終えた時には観客の何人かの女性が泣いていたけど、それは西郷のストーリーを見て泣いたのか、それとも映画終了後に共演者と共に二宮が舞台に現れた喜びからなのかはハッキリ分からない。
なんてことも書いてありました(笑)

この後はジャニースとしてのニノのことが書かれている。
二宮は1963年カリフォルニア生まれのジャニー喜多川氏によって設立されたジャニーズ事務所に所属しています。ジャニーズは日本のエンターテイメント業界において驚異的な力を持っています。(←驚異的ってコワ...
この後に1968年のフォーリーブスから始まって...とかジャニーズの話が少し書いてあるんだけど、そこはちょっと省きます。

ここでまたニノの話に戻って...
多くの人たちが二宮は型にはまったアイドルとは違っていると言います。彼は歌う前から(多分デビューの意)演じていた。14歳の時に舞台『スタンドバイミー』 で(映画では)リバー・フェニックスが演じた役を演じた。

『二宮は早くから目立っていました。』と、副社長であるジュリー藤島は言う。 『彼はタレントになるために我々のところへやって来たけれど、彼に演技の才能があるのは明らかだった。』(←これもジュリーさん談) ジュリー藤島は二宮が飛躍的前進を果たしたのは1998年の元旦に放送されたテレビドラマ “天城越え” だったと言う。 『彼の演技は特別だった。素晴らしかった。彼の演技は皆の注目を引きました。』(←これもジュリーさん談。いや~絶賛ですな

その後もさらにテレビドラマを経て、1999年に二宮はジャニー氏に選ばれた5人で結成されたグループ嵐の一員になった。レコード発売に先立ってハワイ沖の船上で歌と踊りのデビューを果たした。 

『歌を唄うのは常に好きだった。』二宮は言う。『家族と車に乗っている時はいつも音楽をかけています。アメリカのバンドが好きでしたね。ボンジョビが東京ドームに来たときはコンサートに行きました。あとバックストリートボーイズも。日本のミュージシャンのコンサートに行くと、彼らから何か学ぼうと思って見てしまうけど、アメリカのミュージシャンはただ単に楽しませてくれる。』

予想通りに嵐の人気は出た。J-POP界では音楽よりも容姿が重要視される。(←そうかなぁ?)
そして注目(?)すべきなのがこの後の文章!注目っていうかなんか笑っちゃうの。
グループの一番人気は割れた腹筋を持つ松本潤だった。モンキーズでいうところのDavy Jones(モンキーズのメンバーの1人)に似ている(←容姿じゃなくて立場的なことだと思う) ってなんか変じゃない?割れた腹筋って...しかも何でモンキーズに例えるかなぁ( ̄ー ̄?) 

嵐のメンバーは皆違ったパーソナリティーを持っている。グループで二宮は “俳優” としてよく知られている。彼は2002年に『ピカ☆ンチ LIFE IS HARD だけど HAPPY』 で映画初出演をしている。その後も舞台を続け、2005年には『理由なき反抗』でジェームス・ディーンが演じたジム・スターク役も演じている。
そして今月には、彼が見習いの板前を演じるテレビシリーズ 『拝啓、父上様』 が始まった。
料理は出来るのか?と聞くと、撮影の合間(休憩?)にセットの調理場から現れた彼は『いいえ。』 と笑いながら答えた。(←十分出来るじゃんねぇ)
皿洗いをした彼の手は濡れていた。ニノ:『仕事(撮影)は楽しいですよ。』

『彼の演技には個性がある。』 とディレクター(拝啓の)宮本理江子は言います。 『彼は口と目で演技ができる。』(←これも宮本さん談) つまりイーストウッドが硫黄島からの手紙のキャスティングオーディションを日本の俳優たちに要請した時に、二宮は明らかにその候補に入っていた。スタジオは(映画会社?)二宮の才能に加えて彼のJ-POP界での人気によってボックスオフィスに若い世代の観客も増やせると思った。しかし調べによると日本でのこの映画の観客層は30代後半~50代前半が多かった。

オーディションのテープは太平洋を越えて、長年のイーストウッドの協力者であったキャスティングディレクターのフィリス・ハフマンに送られた。二宮はもともと別の兵士、清水役の候補に挙がっていた。イーストウッドは西郷役について決め兼ねていた。そしてディレクターが二宮に西郷のセリフでもう一度台本を読むようにと言った。(←きっとそれが清水じゃなくて西郷さんを演じることになったきっかけなんだろうね) 

ほとんどの若い日本人たちのように、二宮も1945年の硫黄島での戦いにつては大まかにしか知らなかった。でも他のほとんどの同世代とは違って、二宮は硫黄島がどこにあるのか(位置してるのか)ぐらいは知っていた。なぜなら彼の家のトイレの壁には日本地図が貼ってあって、『僕が座ると硫黄島はちょうど僕のすぐ目の前にあるから。』 だそうです(*^m^)o==3

日本の兵士たちが戦いに行った時のように彼は役に入っていった。どんな運命が待っているのかわからないまま,感情を抑えて...
日本のディレクターは音楽や涙を出して
(いつもより)、感情を誇張するのが好きだと二宮は言う。 
『感情を出して、さらに出して映画を作る人もいるけど、それは現実的だとは思いません。』 と二宮は言う。 『だから硫黄島の手紙のような映画を作る時は、事実に基づいているから、あまり面白くないって思う人たちもいるかもしれない。僕が演じたシーンによっては、もっと泣くべきじゃないかって言われるかもしれない。』
 

映画が完了した後に二宮は涙をながした。
理由は以下...
彼の祖父は日本帝国のために戦争をするために戦地に送られた兵士だった。二宮の祖父は孫に(ニノにってことだよね)その戦争について語った。(お爺様は)朝鮮半島に配置され、そこで旧ソ連軍隊によって捕虜になり、シベリアに閉じ込められた(経験がある)。
そして、絶望的な状況で苦しんでいる兵士を演じた孫は(西郷を演じたニノのこと)ある夜テレビでもうひとつの戦争ドラマを見ていた。
『(テレビを見ていて)泣くのを止めることができなかった。』 と二宮は言った。 『それが僕のお爺ちゃんの話(似たような?)
だったから泣いてしまった。』


っていう感じです。あ~~~長かった 
なんか記事の締め方とか表現の仕方などなど、欧米か?!(確かにそうなんだけどね)って思わずツッコミたくなるような所がいくつかあったよ(笑)訳が分かりにくかったり、もしかしたら間違ってる所もあるかもしれないけど、大目に見てください 

LAタイムズに採りあげられて、しかもけっこう細かいところまでこんなに記事になってるなんてニノ凄すぎ!
謙さんがラストサムライに出て以来ハリウッドからのオファーが増えたように、ニノにもそのうちまたハリウッドからのオファーとかきちゃうのかな? なんだか思いは色々だね...
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